X-ManiaからX-ESTへ。STが東京のゲーセンで死なない理由
西側がパッチだネットコードだと議論している間、日本ではSuper Street Fighter II Xの本物の物差しが、何十年も変わらず存在し続けてきた。東京のゲーセンで夏に開かれる、あの大会だ。かつての名前はX-Mania。Super Turboのスーパーボウルと呼ばれていた。2016年からは**X-EST(Every Summer Tournament)**として生まれ変わったが、背骨は一ミリも動いていない。
その背骨が、3対3のチーム戦形式だ。表面的な装飾だと思ったら大間違いだ。O.Sagatの支配からDictatorの恐怖まで、キャラ性能がここまで極端に偏ったゲームでは、3v3はチームにマッチアップのカバー、出し順の管理、そして相手を「個人」ではなく「ブロック」として読むことを強いる。実行力の勝負であり、同時に社会的なチェスでもある。
大きい年には数十チーム、100人を超えるプレイヤーが集まる。そこで勝った王者たちは、そのまま時代の基準になっていった。大半は日本人。それでもこのイベントは常にアメリカやヨーロッパの遠征組に門を開いてきた。世界の他の地域が自分のレベルを測るための、黄金の物差しとして機能してきたわけだ。
クラシックシーンへの教訓ははっきりしている。STの長寿はリマスターのおかげじゃない。日本のコミュニティが毎年守り続けている、あの対面の儀式のおかげなのだ。